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イベントヒストリー > インタビュー > 円 広志(元ZOOM)
INTERVIEW-012
感動は、演歌やロック・パンクなど、どんなものにもあり、全部に共通している何かだと思うんですけどね。
 円 広志(元ZOOM)
高知県出身。大学時代、ロックバンド「ZOOM」を結成。1974年「8.8Rockday」で入賞。1978年、「夢想花」で「第16回ポピュラーソングコンテスト」、「第9回世界歌謡祭」グランプリ獲得。その後、紆余曲折はあったものの、現在は、作曲家、俳優、タレント、ミュージシャンなどマルチの顔を持ち、幅広いジャンルで活躍している。
ポピュラー・ソング・コンテストに出場した頃の思い出…
その後のプロ活動(作曲)について
音楽活動を続けていく力
音楽家 “円 広志”
音楽を始めたいという人たちにメッセージ
今後のスケジュールについて
ポピュラー・ソング・コンテストに出場した頃の思い出… MOVIE(300K)
今回は、8.8Rockday'74決勝大会出場、'75年優秀バンド賞受賞、EastWest'77決勝大会出場。そして、1978年の第16回ポピュラーソングコンテストに出場し、「夢想花」で見事グランプリに輝いた円広志さんをお迎えしてお送り致します。
インタビューは、当時大石吾郎さんと一緒に司会を務めていました増井孝子さんです。
増井: ヤマハイベントヒストリー、今回のお客様は、第16回ポプコンつま恋本選会で見事、グランプリに輝かれました円広志さんです。
宜しくお願いします。
編集局注: 1969年に「作曲コンクール」が三重県・合歓の郷でスタートし、71年まで開催。
その後、4回目からは「ポピュラーソングコンテスト」と名前を変え、1972年から1986年の32回大会まで行われた。
詳しくはこちらへ
http://www.yamaha-mf.or.jp/history/e-history/popcon/index.html
円: 宜しくお願いします。
増井: 当時、ポプコンの司会は大石吾郎さんが、やってらしたでしょ。でも、16回の時に大石さんが体調崩されたんですよね。
円: 吾郎さんが?
増井: それで、『一人で司会お願いします。』って、言われたんですよ。
もう私はドキドキで・・・、その時に円さんがグランプリだったんですよね。
円: 僕の時ですか?そうでしたっけ?
増井: そう、嬉しかった。
円: “クリスタル・キング”もいましたでしょ、“チャゲ&飛鳥”もいましたからね、それから大友裕子さんなど、そうそうたるメンバーだったんですよ。大友裕子さんは、最優秀賞歌唱賞を世界歌謡祭でとってますからね。歌、めちゃくちゃ旨いしね。若くてバリバリの“チャゲ&飛鳥”でしょ。“クリスタルキング”は、出来上がってましたからね。あの頃からもう、プロですからね。
だから、もうほんと恐れ多くて・・・
編集局注: “クリスタル・キング”は、第16回(1978)・第18回(1979)に出場。第18回では、「大都会」でグランプリを受賞。
“チャゲ&飛鳥”は、第16、17回と出場。「流恋情歌(るれんじょうか)」「ひとり咲き」で入賞。
大友裕子さんは、第16回に出場。「傷心」で優秀曲賞を受賞。1978年の第9回世界歌謡祭に円さんと共に出場し、最優秀歌唱賞を受賞した。円さんはグランプリを獲得。
世界歌謡祭についてはこちら
http://www.yamaha-mf.or.jp/history/e-history/wpsf/index.html
増井: 円さんは、ポプコン出場の前からヤマハとの付き合いはあったんですか?
円: はい、僕はヤマハにすごくお世話になってるんですよ。もともとはロックで始めて8.8Rockdayで入賞させて頂きまして・・・。そこから、セミプロみたいな活動をして、ライブハウスで、ずっと演奏していたんですよ。実は結構、人気もあったんですよ。
編集局注: 円さんは、“ZOOM”というロックバンドで1974年、1975年の8.8Rockdayに出場。
75年では、優秀バンド賞を受賞した。
8.8Rockdayについてはこちら
http://lmc.yamaha.co.jp/archive/index.html#main
増井: その時のバンド名は何だったんですか?
円: え!“ZOOM(ズーム)”っていうバンドで、・・恥ずかしいね。大阪のライブハウスであちこちやってたんですけれど。
増井: 大ブレイクまではいかなかったんですか。
円: いかへん!それからね、その頃はレコードデビューしたいっていう気持ちが強かった時代ですからね。でもそれが、どうしても出来なかったんですよ。
増井: 今みたいにインディーズみたいなものがなかった時代でしたからね。
円: それで、『なんとかせないかん!』ということで、こんどEastWestっていうのに出場したんですよ。
編集局注: 円さんは、1977年のEastWestに出場。残念ながら賞はもらえず。
その時の出場バンドに“カシオペア”、“サザンオールスターズ”、“シャネルズ”など、そうそうたるバンドが出場していた。
EastWestについてはこちら
http://lmc.yamaha.co.jp/archive/index.html#main
増井: それは、関東ですよね。8.8Rockdayの関東版みたいな感じでしたよね。
円: これが、凄かったんですよ。僕らが出た時は、“サザンオールスターズ”が、最優秀歌唱賞でした。桑田くんやっぱ歌が旨かったですよ。それから、“シャネルズ”。あの頃は“シャネルズ”は凄かったんですよ。
増井: あの頃は、まだ、黒塗りしていなかったんですか?
円: いや!していましたよ。真白い手袋で、黒できめて、もうめちゃくちゃかっこ良かったです。もう全くのプロという感じでしたね。だから『東京って凄いな!』って思いましたよ。その時、僕らねEastWestで『東京でも大阪の根性を見せたらなあかんで!』って思ってステージで歌っていたら、途中でドラムが止まったんですよ。『あれ、おかしいな。』って思って・・・・・。ドラムのスネアがね、ポロンと取れたみたいなんですよ。コロンコロンコロンってね、転がってきて、ふくらはぎのところにゴンと当たって、何かなと後ろ見たらね、スネアなんですよ。『なにをス(ン)ネヤ!』と思いながら、歌っていましたけどね・・。
増井: その頃から、バラエティの芽があった訳ですね。
円: いや〜あれは、ちょっと失敗しましたわ。
増井: でも、別にコミックバンドで出た訳じゃなくて、ちゃんとしたバンドで出た訳でしょ。
円: もちろん、ちゃんとしたロックバンドですよ。
増井: それで“大阪の根性”とかは見せられたんですか?
円: 大失敗に終わりましたね。審査員の方に言われましたわ。『そういうトラブルにあった方もおられますけれども、それとは関係なくして、だめなものはだめでした。』・・って言われて。(笑)
増井: そうですか、結構きついですね。
円: そうですよ。厳しい世界ですよ。自分ではなんとかデビューしたいと思いながらも年齢が24歳。その年代って、だいたいが大学卒業して就職してるじゃないですか。メンバーもみんな就職して、僕一人ぼっちになって。『どないしたもんやろなー。』って思って作った曲が、あの「夢想花」だったんですよ。
増井: 結構ぎりぎりのところだったんですね。
『これに賭けてみよう!』っていう気持ちがあったんですか?
円: そうかもしれないですね。その頃、僕はポプコンとか世界歌謡祭とかの存在を知らなかったんですね。でも“ツイスト”が僕らの前の年に出場して、大ブレイクでしょ。
編集局注: “世良公則&ツイスト”は、1977年の第14回大会に出場。「あんたのバラード」でグランプリを受賞。
詳しくはこちらへ
http://www.yamaha-mf.or.jp/history/e-history/popcon/index.html
増井: 世良さんですねー。
円: 人気が、バーンと!「あんたのバラード」で、どーんといったわけですよ。世良君は僕の後輩なんですよ。大学時代のときのね。僕は、“ZOOM(ズーム)”っていうバンドでやっていましてね、結構スターだったんですよ。その頃、世良君はまだ、高校生で、ライブハウスでバイトをやっていたんですよ。僕のマイクを立てたりしていましたからね。『お前、マイクちゃんとやらんかい!こら!』って言ってたんですよ。
その世良君がバーンと人気者になって、僕は“ツイスト”のガードマンのバイトやっていたんですよ。(笑)お客さんが、『キャー!』って言って、世良君が『♪あんたの〜』って歌っている前で、ガードマンのバイトですわ。『世良君、大丈夫やから、僕が守ってやるから・・。』って、心の中で思っていました。(笑)
増井: いつか!俺も!みたいなもんがあったんじゃないですか?
円: いや、それは無かったですけどね。
僕が第9回の世界歌謡祭でグランプリ獲った時に、世良君がばーっと走ってきてくれて、僕の手を上げてくれたんですよ。 『良かったねー。』みたいな感じで・・。
編集局注: “世良公則&ツイスト”は、円さんの前年に行われた1977年の第8回世界歌謡祭に出場し、グランプリを獲得している。
増井: 先輩後輩の美しき友情じゃないですか。
円: 美しき友情やけどね、彼の背が高すぎて、俺は背伸びしてね。(笑)『お前、目立っとるやないか!』みたいな感じでした。
増井: そうですか〜。結構、紆余曲折があっての「夢想花」だったんですね?
円: そうですよ。紆余曲折やりながら、やっとたどり着いたのに。それから、えぐる様に落ちてしもうてね。
そこからのまた紆余曲折があって、ほんと僕の人生は凄いですよ。
増井: それも人生!でも、円さんってなんか、世間的には結構バラエティの人かなあ?って思われているじゃないですか?でも、そこにはずっと音楽魂があったりするんじゃないですか?
円: まあ・・音楽魂というほどのもんでもないですよ。ただ、まあ、その時その時ですけど、音楽がないと節目にならないですよ。やっぱりライブやコンサートがあったりとかね。コンサートであちこち行くじゃないですか。そのたびに緊張もするし、ライブが終わった時の爽快感や満足感とかを味わえるじゃないですか。そういうものは、バラエティとかでは味わえないもんですからね、それが一つ人生の中で、まあ人生というか、1年なら1年の中で節目節目になってるっていうのは、確かにありますよ。
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