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イベントヒストリー > インタビュー > 桑野 信義(元シャネルズ)
INTERVIEW003 桑野 信義
「音を楽しむ」という気持ちで音楽をやる余裕
桑野 信義(元シャネルズ)
1957年4月4日東京都出身。'77年、'78年にシャネルズの一員としてEastWestに出場。'80年「ランナウェイ」でデビュー。
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当時を振り返って
読者へのメッセージ
夢・・・
当時を振り返って
写真1
石尾: 今日はイーストウェスト77年78年に連続出場しまして、78年には優秀グループ賞を受賞しました『シャネルズ』、その後は『ラッツ&スタ−』という名前になりましたけれども、そこでトランペッタ−をつとめ、現在はマルチタレントとして大活躍の桑野信義さんにお話を伺います。
桑野: どうもー、お久しぶりでございます。
石尾: ご無沙汰しております。
桑野: 78年というと・・・?
石尾: 25年前です、四半世紀前。
桑野: そうですかあ。歳を取りました。
石尾: いえいえ、お変わりなくて。
桑野: そちらこそ、全然お変わりなく。
石尾: 何をおっしゃいますか(笑)。
さて、このインタビュ−では、当時アマチュアバンドとして出場して、現在プロとして活躍してらっしゃる方々に、いろいろなお話を伺っているんですが、当時のことは覚えていますか?
桑野: ええ。僕は、親父がジャズのトランペッターなもんで。
石尾: ジャズマンでいらっしゃるんですよね?
桑野: はい。その影響で僕も吹いていて、高校卒業してからクラブに出演していたんですよ。
石尾: 10代の頃に?
桑野: 10代の頃に。当時すでに『シャネルズ』は存在してて、サックスがいたんですけども、そいつが辞めちゃって。僕はリーダーの鈴木と幼馴染だったので、「ちょっと手伝ってくれないか?」ってことで。もともとはプロ目指してジャズをやってたんですけども、ひょんなことからシャネルズの方が比重が多くなってしまったんですよ。
石尾: でも、『シャネルズ』は、当時はまだアマチュアバンドだったんですよね?プロとしてお仕事を始めていたのに、そちらの方に参加するというのは、何か不思議な感じがしますけども。
桑野: 当時は、ジャズのバンドの方では、私は4番トランペッターだったんですよ。
やっぱり順番がありましてですね、リードトランペッターからセカンド、サード、4番っていう。メロディとか吹けないわけです。まだ駆け出しだし。だからあまり面白くなかったんですよね、ハッキリ言うと。でもシャネルズってラッパ1本だからソロも吹けるし、音楽的には、僕が一番、譜面も読めたし、ということで、どんどんどんどん楽しくなっちゃって。それで、そっちに比重がいっちゃったんですねえ。
石尾: やってる音楽は全然違ったんじゃないですか?ジャズから、いわゆる、黒人的な音楽というか、ソウルフルな音楽にいったわけですよね。
桑野: 高校時代から、昔は「踊り場」って言ったんですけど、つまりディスコにけっこう通いまして。ブラックミュージックが大好きだったんですよ、ソウルフルなね。ジャズも好きでしたけど。だから全然抵抗なかったですね。
石尾: 聞いた話ですと、当時はお寺の境内で練習していたとか。
桑野: やってましたねえ。お寺で。楽器を持って練習やると、「ウルサイ!」って怒られるんですよ。
石尾: でしょうねえ(笑)。
桑野: 警察に連絡されて、お巡りさんが来て、でもそのお巡りさんに逆に励まされたってこともありましたよ。そのうちに、大井町のシブヤ楽器というところで練習するようになったんですけども、そこで「イ−ストウエストに出てみないか?」っていう話があって、「じゃ、やってみるか」と。
写真2
石尾: その頃からファンの人も多くて。ライブでは『シャネルズ』は名が通ったバンドでしたよね。
桑野: 当時は、けっこうバンドブ−ムだったんですよ。『クールス』とか『チェリーボーイズ』とか僕たちとか、アマチュアが集まってステ−ジもやりましたけど、一応、親衛隊とかファンクラブはありました。
石尾: すごかったですよね。私、予選会の司会をしてたんですよ。大井町の駅前、今は「きゅりあん」って名前になっちゃいましたけど、当時は「品川公会堂」っていうのがあって。
桑野: 行きました、行きました、はい。
石尾: そこで予選会があって、司会をしてたんです。とにかく『シャネルズ』のお客さんが多くって、コンテストなのにコンサートみたいな感じがしたのがすごく印象的でした。
桑野: もともとプロになる気はなくて、仲間達で楽しんでるっていう感じだったんですけどね。
石尾: じゃあコンテストっといっても、そんなに緊張したり、絶対勝ち抜かなきゃ、というのは無かったんですか?
桑野: 無いですね。やるからには本選に行きたいとは思っていましたけど、みんな別の仕事を持っていたしね。何て言うんだろ、音楽を楽しもうよっていう意識の方が強かったですね。逆にそれが良かったのかも知れない。変な力が入らなくて。それに、こわいもので、音楽をみんな知らないもんですから、バカできちゃうんですよね、なりきれちゃう訳ですよ。
石尾: かなり特異な存在でしたよね、顔を黒く塗って。
桑野: ですよねえ。最初は「シャナナ」っていうバンドのコピーをしてロックンロールをやってたんですけどね。ちょうどシャナナも10人で。そのシャナナにもサックスがいて、その人の名前がレニ−。だから私、「レニーおじさん」と呼ばれてました。ファンのみんなから。
石尾: そうなんですか。私には、すごく大人っぽいバンドだなっていう印象があったんですけど、当時から。
桑野: いや−、悪ガキですよ。
石尾: いえいえ。今思うと、「あぁ、そんなに若かったんだ」と思いますけど、当時は大人びてました。77年は『カシオペア』も『サザンオールスターズ』も出ていて、今も活躍している方が多い熱気あふれるステージでしたよね?
桑野: そうですね、今、改めて振り返ってみると、今でも活躍してるミュージシャンがいっぱいいるし、すごい所に出たんだなーと思いますね。
石尾: 楽屋の雰囲気とか覚えてらっしゃいます?当時のサンプラザの。
桑野: あの時は、ホントに音楽的にシャネルズよりも全然素晴らしいバンドばっかりだったので、私達の作戦として“威嚇作戦”というのをとりましたね。
石尾: 威嚇作戦?といいますと…。
桑野: 当時、10人いましたからね、リーゼントしたお兄ちゃんが。で、こうちょっと圧力をかけるんですよ、楽屋でも。さらにアカペラなんかかましちゃったりなんかして。で、そうすると他の出場者の人たちはみんなやっぱり真面目な人っていうか、ホントに音楽を愛してる人ばかりだったから、「何だ、何だ、あいつらは?」となる。そういうのを繰り返してました。
石尾: それが見事に当たって。そういえば言ってましたよ、『カシオペア』の野呂さんが。
予選からブロックに行って、決勝大会に行く頃にはみんな顔馴染みになって仲良くなるんだけど、なぜか『シャネルズ』は近寄れなかったって。
桑野: ホントはみんないい奴なんですよ。
石尾: はい、わかります(笑)。
桑野: でも仲良くなっちゃうとマズイんですよ。やっぱり、戦いですから。こうちょっとオ−ラを張って・・・。
石尾: なるほど。でも、下馬評では『シャネルズ』がトップだというのはあったと思うんですよ。ご本人達も、かなり自信満々で上がられたんじゃないですか?
桑野: いや、自信満々というより、さっきも言いましたけども捨て身っていうか。別にプロになる気はないから。でもイーストウェストで優勝して辞めようというのはあったんですよ、目標として。もう親に言われてたしね、いい年して仕事もあるのに仕事をほったらかして何してんだと。
石尾: あはは。
桑野: そろそろちゃんとしなさいって言われてたんです、親から。だから、優勝して辞めよう!と。
石尾: ところが優勝できなかった。だから辞められなくてプロに?
桑野: そういうわけでもないんですけどね。エピックソニーレコードの方がずっと勧誘に来てたんですよ。僕らはホントにプロになる気ないから、お断りしてたんですけど。
石尾: えー!信じられない・・・。
桑野: その当時から、山下達郎さんとか大瀧詠一さんとか井上大輔さんとかに可愛がられて、CMソングとかを歌ってたんですよ。たまたま井上さんと湯川れい子さんが作った「ランナウェイ」という、ラジカセが発売になった時のCMソングをやらせてもらって、それが評判で、それを一曲に完成させて出してみないか?と。みんなで悩んだんだけど、この曲を出して売れなかったらすぐ辞めますよ、という契約で出したんです。それで、出したら、ボーーーン!といっちゃった訳なんですよねー(笑)
石尾: それが1980年の2月、ですよね?
桑野: そう。そうしたら会社の人も、ちょっと休んでいいいから、そっちをやってみろと。いつでも帰って来ていいからって。結局帰らなかったですけど。だから、僕らは一生懸命プロを目指す!とかいう人とは違っていたんですよね、かなり。でも、それだけ欲が無かったから、逆にいけたのかもしれませんけれど。
石尾: いつ頃からプロとしてずっとやっていくという意識が芽生えてきたんですか?
桑野: 「ランナウェイ」という曲を出して、売れてくると、次の曲、次の曲ってシングルを出さなきゃいけないじゃないですか。
石尾: そうですよね。
桑野: ステージも手を抜けないし、いろんな曲をやり出して、そのあたりからみんなの意識が変わっていきましたよ。
石尾: では、本当にプロとしてデビューした後、プロ意識が芽生えたと?
桑野: そうですね。ドラムの奴もギターの奴も、先生についたりして。そりゃそうですよねえ。
石尾: 他のバンドとは、かなり違う道を歩んでこられたんですね。
桑野: だから、今これを見て、当時『シャネルズ』に負けた人は、「何だコノヤロー!」って感じだと思いますけどもね(笑)。悪い気はしますよね。でも、そんなもんですよ、世の中(笑)。
石尾: 今ももちろん音楽活動をしていらっしゃいますよね。
桑野: はい、してます。
石尾: それだけではなく、役者さんとして、バラエティのタレントさんとして、大活躍でいらっしゃいますけども、今振り返って、イーストウェストというものをどう思いますか?
桑野: イーストウェストがなければ今の自分達はいない訳ですし、当時のバンドブームの火付け役だったイーストウェストという大会に、出て良かったなって思っています、はい。
読者へのメッセージ
写真3
石尾: 桑野さんの周りで、音楽をやってらっしゃる若い方達というのは増えていますか?
桑野: 増えてますね。今は、いろいろな教材も楽譜も出てきてるし、楽器をやるにはいい環境ですよね。僕らの時代は、コピ−をするのでも、テープレコーダーで何度も聴いて音をとっていったり、ドラムの奴なんてマンガ本叩いて練習したりとかしてましたよ。今は違いますもんねえ。幸せだなあと思いますよ、今の人たちは。僕らは、ハングリ−だったといえるかもしれないけど。
石尾: 環境が整っていなかっただけに余計に、というのはあったのではないでしょうか。
桑野: そうかもしれないですね。
石尾: 今のような環境の中でプロを目指すのは、逆にすごく大変じゃないかな、という気もしますよ。
桑野: そうですね。今日も「管カラフェスタ2003(管楽器カラオケチャンピオンシップ)」っていう、今年で5回目のイベントがあったんですけれども、素人の方のテクニックが年々すごくなって、ホントにびっくりしてます。こちらもオチオチしてられませんよね。
*このインタビューは2003年4月6日に収録されました。
石尾: でも、音楽ってテクニックだけじゃないってところもありますよね?
桑野: もちろんそうですけどもね。自分で言うのも何ですけども、例えば昔吹いた間奏のソロとかを今吹くと、全然違うと思うんですよ。これって、歳をとったから言えることであって、やっぱり、昔、録音した演奏を聴いてみると若いですね。そういう意味では、今の方がいい音が出てるかなー?と自分では思いますけども。
石尾: やはり人生の年輪が音楽にもいい味を与えると。
桑野: いろいろあったんですよ(笑)。
石尾: お察ししたいと思いますけども(笑)。今おっしゃったことは、アマチュアの方にも言えることですよね。ところで、若い頃に音楽をやっていて、今はもうやめてしまったという方もいらっしゃると思うんですが、そういう人たちもぜひまた音楽をやって頂きたいなと思いますよね、そういう味が出るまで。
桑野: そりゃそうですよ。それで食っていけとは言いませんけども、やはり多少なりとも志した楽器、音楽を、趣味でもいいですからやり続けて欲しいですよね。
石尾: 続けるためのアドバイスがあったらお願いしたいんですけども。
桑野: そうですねー。さっきも言いましたけども、テクニック追及もいいけれど、それはもう今の若い人達にはかなわないし。やっぱり楽しむって言うんですかね、音を楽しむ、そういう気持ちで音楽をやるような余裕のようなものを持って欲しいですよね。
夢・・・。
石尾: 桑野さんご自身は、これからはどんな風な道を歩んでいかれようと思っていらっしゃるんですか??
桑野: とりあえず長男は18歳で、トランペットをちょっとやったんですけども、無理やりやらせるのが嫌で途中で止めちゃったんですよ。今はラッパはラッパでも「ラッパー」の方になっちゃって(笑)。
写真5
石尾: あら、現代的ですね。
桑野: ええ。それで、次男が4歳なんですが、今、ラッパをいじって音出してます。こっちの方をちょっと教えようかな、と思ってます。
石尾: では、桑野家3代目が育っていると。
桑野: 親父もまだ吹いてますから、親父と俺と息子と、親子3代で音楽をやってみたいと思いますね。
石尾: 長男の方には踊ってもらって。
桑野: 途中でラップを入れてもらってね。
石尾: ぜひ、そんなステージを見せてください。
桑野: それと、今クラシックにも挑戦しているんですよ。ハイドンに扮しまして、管弦楽をやってるんですけども。それもぜひ、機会があれば見てください。ヤマハの「ゼノ(Xeno)」というトランペットで頑張ってますんで。
石尾: クラシックもジャズもロックも、根っこは“音楽”というひとつの根ですから、いろんなことに挑戦して私たちを楽しませてください。
桑野: そうですね。いろんな音楽に、いいなあと思う音楽に挑戦していきたいなと思います。
石尾: ご活躍を楽しみにしております。ありがとうございました。
桑野: どうもー。
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文中でも話しているとおり、桑野 信義氏が愛用する、ヤマハカスタムトランペット「Xeno」。源流からの徹底した見直しがXenoをまた一歩「究極」に近づけました。
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